西条の由来や、歩んできた歴史をご紹介します

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歴史探訪

愛媛県西条市歴史探訪
西条市の概要
西条市は、愛媛県北東部に位置し、隣接には新居浜市や今治市、東温市などがあります。西日本最高峰の石鎚山のおいしい水、うちぬきとよばれる自噴水(地表面から水が噴出する現象)、県指定の天然記念物カブトガニが有名です。

西条のあゆみ
西条には、縄文時代の土器や骨角製の釣針が出土しており、この頃から人が住んでいたことがわかっています。高地性遺跡は弥生時代中期終末期から後期中葉にかけての希少な遺跡として知られています。また、景行天皇の第12皇子、武国凝別命(たけくにこりわけのみこと)が、伊曾乃神社付近に館を設け、この地域を治めたという言い伝えが残されています。

戦国時代、この地を治めていたのは金子氏でしたが、豊臣秀吉配下の毛利家・小早川隆景による四国攻めの軍が瀬戸内海を渡って上陸し、市域は戦場(天正の陣)となりました。「野々市ヶ原の古戦場」「千人塚」「高尾城」「高峠(高外木)城」「金子備後守元宅の墓」など、多くの戦跡が現在に残っています。

江戸時代に入り、伊勢神戸(三重県鈴鹿市)の城主・一柳監物直盛(ひとつやなぎけんもつなおもり)は伊予西条に移封されましたが、入国する前に病没し、その遺領は長男・直重に西条、次男・美作守直家(みまさかのかみなおいえ)に川之江、三男・直頼に小松、が分与されました。直重は陣屋を築造し、市域に城下町を開きましたが、後に播磨国高木(兵庫県三木市)に移されました。
それからというもの、西条藩には紀州松平家の分家が入封され、1670年、松平頼純(徳川家康の孫)が藩主になってからは明治時代までの200年間、松平氏の城下町として栄えました。豪華絢爛な西条祭りはこの頃始まったと伝えられ、「鬼頭」といわれる責任者は庶民でも帯刀を許されていました。

その後、市域は廃藩置県により西条県となり、つづいて西条町が誕生します。1941年、市制が施行され、周辺の1町3村と合併して西条市となり、その後も市域を拡大していき、2004年に2市2町が合併して現在の西条市になっています。


西条の名前の由来
班田政策の条里制(古代の土地区画制度)に因んで付けられたという説があります。


西条の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
 西条市立西条郷土博物館
住所: 〒793-0023
愛媛県西条市明屋敷238-8 [地図を見る]
電話番号: 0897-56-3199
開館時間: 9:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館日: 毎週月曜日、国民の祝日の翌日(土・日・祝日をさけて繰りのべます)、年末年始(12/29〜1/3)、10月16日(西条祭の日)
入館料: 無料







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